日本ブランド衰退の理由①
(U.S. FrontLine誌 2013年3月20日号 掲載分)
アメリカの消費者行動について10年くらい前に書かれた 「トレーディング・アップ(マイケル・J・シルバースタイン 著)」という書籍をたまたま教えてもらったのですが、そこ で指摘されている内容が、今の時代に当てはめても、消費社 会の現状をなかなか見事に言い当てており、我が社が意識・ 経験し、実践してきたこととの関連も多々あったので、何回 かに分けて、私なりの視点も交えて紹介したいと思います。
中間を狙うブランドはいずれ消える
この本で、一番重要なテーマだと私が感じたのは、最終的 に生き残れるのは、個性や熱狂的なファンベースのある高 級ブランドと、とにかく低価格の商品の二者であり、中途 半端で特徴もなく中間を狙ったブランドは淘汰される、と いう話です。
10年前を振り返ってみると、例えばBest Buyの家電コー ナーに行けば、冷蔵庫や洗濯機など、日本のブランドが割 りと高い値段で売られていた記憶があります。オーディオの コーナーでも、日本の製品がかなり棚を占領していました。 ところが今ではどうでしょうか? 家電コーナーで、日本 のブランドを全く見かけないことも多々あります。ひっそ りと並べられていて、単に気付かなかったということもあ るのかもしれませんが、サムソンなど韓国のブランドや低 価格の中国勢ブランドに圧倒され、とにかく影が薄くなっ てしまったことは間違いないでしょう。
この本は、なぜアメリカで日本製品が売れなくなっていった のかを、きれいに説明してくれていたことに気付かされます。
(もっと詳しくブランディングについて知りたい方はこちらも参照ください:ブランディングとは?)
消費者を甘く見ないこと
先日、某クライアントに色々と厳しいことを言わなければ なりませんでした。こちらは日本を市場とするメーカーさ んで、我が社はウェブマーケティング全般を担当している のですが、カタログの制作会社へ「とにかくインパクトを 出してほしい」というリクエストをクライアントがしたそ うです。
そのカタログが、「クールさ」を出すという意味で西洋人 モデルを使い、おそらく誰も(仮にどの人種でも)しない ような格好をさせ、キワモノのような存在で、リアリティ が全くない路線。それでいて、誰の理想にも憧れにもなれ ていないので、ポイントが何もないものだったのです。
例えるなら、西洋人向けに、芸者・ちょんまげでもテキト ーに出して日本を“イメージ”して見せたようなものでし た。そういう広告は、日本人には「現実の日本の姿には程 遠い」とすぐに感じられてしまいますが、西洋人向けには、 それが現実離れしていても、実は大して問題がないことも あります。
ただ今回のケースでは、「日本=芸者・ちょんまげ」とい うような広告を、むしろ日本人に見せて販促効果を狙おう とするような行為だったので、ターゲットユーザーからす れば、自分たちを全く理解していないと映るか、ともすれ ばバカにされているとすら感じさせてしまうものになって いました。それがユーモアを狙ったものでもなかったので、 正に「痛い」と伝えました。
コンセプトが重要
それこそ男性社員を女装させても何らかのインパクトは出 せるでしょう。重要なのはその先で消費者に起こさせる感 情で、商品やブランド、会社に対して何らかのポジティブ な印象を残すことがマーケティングの第一歩だという前提 を、このクライアントは完全に見失っていました。
何よりも馬鹿げていたのが、本来このクライアントは、強 い特徴と多くのユーザーに好感を持たれる材料をたくさん 持っていたのに、この薄っぺらいコンセプトのおかげで、 それらを台無しにさえしようとしていたことです。そして そのことに、企業や制作者が全く気付いてさえいない…。
多くの日系企業に共通して感じるのは、自分たちの顧客層 や特徴をまともに分析できていないということです。アメ リカへ進出してくる企業の方に、「なぜ貴社の製品が売れる とお考えですか?」と尋ねると、大体は「日本製で高品質 でうんぬん」というような感じなのですが、それだけでは 特徴にはなりにくく、中間ブランドは淘汰される原則に適 合してしまうわけです。
かといって高い値段を付けて、日本ブランドで高品質だか らと主張したところで、それが消費者に伝わらなければ、 誰もハイエンドのブランドだとは認めてくれません。
消費者は年々賢くなってきており、“なんちゃって広告代 理店”あたりがやるような、「単にらしいだけのミーハーで内 容のないキャンペーン」に乗せられる人はほぼいないと、こ れまでずっとクライアントに説いてきたのですが、実に多く の企業が、甘い認識をしていることに、毎度驚かされます。
アメリカの消費者行動について10年くらい前に書かれた 「トレーディング・アップ(マイケル・J・シルバースタイン 著)」という書籍をたまたま教えてもらったのですが、そこ で指摘されている内容が、今の時代に当てはめても、消費社 会の現状をなかなか見事に言い当てており、我が社が意識・ 経験し、実践してきたこととの関連も多々あったので、何回 かに分けて、私なりの視点も交えて紹介したいと思います。
中間を狙うブランドはいずれ消える
この本で、一番重要なテーマだと私が感じたのは、最終的 に生き残れるのは、個性や熱狂的なファンベースのある高 級ブランドと、とにかく低価格の商品の二者であり、中途 半端で特徴もなく中間を狙ったブランドは淘汰される、と いう話です。
10年前を振り返ってみると、例えばBest Buyの家電コー ナーに行けば、冷蔵庫や洗濯機など、日本のブランドが割 りと高い値段で売られていた記憶があります。オーディオの コーナーでも、日本の製品がかなり棚を占領していました。 ところが今ではどうでしょうか? 家電コーナーで、日本 のブランドを全く見かけないことも多々あります。ひっそ りと並べられていて、単に気付かなかったということもあ るのかもしれませんが、サムソンなど韓国のブランドや低 価格の中国勢ブランドに圧倒され、とにかく影が薄くなっ てしまったことは間違いないでしょう。
この本は、なぜアメリカで日本製品が売れなくなっていった のかを、きれいに説明してくれていたことに気付かされます。
(もっと詳しくブランディングについて知りたい方はこちらも参照ください:ブランディングとは?)
消費者を甘く見ないこと
先日、某クライアントに色々と厳しいことを言わなければ なりませんでした。こちらは日本を市場とするメーカーさ んで、我が社はウェブマーケティング全般を担当している のですが、カタログの制作会社へ「とにかくインパクトを 出してほしい」というリクエストをクライアントがしたそ うです。
そのカタログが、「クールさ」を出すという意味で西洋人 モデルを使い、おそらく誰も(仮にどの人種でも)しない ような格好をさせ、キワモノのような存在で、リアリティ が全くない路線。それでいて、誰の理想にも憧れにもなれ ていないので、ポイントが何もないものだったのです。
例えるなら、西洋人向けに、芸者・ちょんまげでもテキト ーに出して日本を“イメージ”して見せたようなものでし た。そういう広告は、日本人には「現実の日本の姿には程 遠い」とすぐに感じられてしまいますが、西洋人向けには、 それが現実離れしていても、実は大して問題がないことも あります。
ただ今回のケースでは、「日本=芸者・ちょんまげ」とい うような広告を、むしろ日本人に見せて販促効果を狙おう とするような行為だったので、ターゲットユーザーからす れば、自分たちを全く理解していないと映るか、ともすれ ばバカにされているとすら感じさせてしまうものになって いました。それがユーモアを狙ったものでもなかったので、 正に「痛い」と伝えました。
コンセプトが重要
それこそ男性社員を女装させても何らかのインパクトは出 せるでしょう。重要なのはその先で消費者に起こさせる感 情で、商品やブランド、会社に対して何らかのポジティブ な印象を残すことがマーケティングの第一歩だという前提 を、このクライアントは完全に見失っていました。
何よりも馬鹿げていたのが、本来このクライアントは、強 い特徴と多くのユーザーに好感を持たれる材料をたくさん 持っていたのに、この薄っぺらいコンセプトのおかげで、 それらを台無しにさえしようとしていたことです。そして そのことに、企業や制作者が全く気付いてさえいない…。
多くの日系企業に共通して感じるのは、自分たちの顧客層 や特徴をまともに分析できていないということです。アメ リカへ進出してくる企業の方に、「なぜ貴社の製品が売れる とお考えですか?」と尋ねると、大体は「日本製で高品質 でうんぬん」というような感じなのですが、それだけでは 特徴にはなりにくく、中間ブランドは淘汰される原則に適 合してしまうわけです。
かといって高い値段を付けて、日本ブランドで高品質だか らと主張したところで、それが消費者に伝わらなければ、 誰もハイエンドのブランドだとは認めてくれません。
消費者は年々賢くなってきており、“なんちゃって広告代 理店”あたりがやるような、「単にらしいだけのミーハーで内 容のないキャンペーン」に乗せられる人はほぼいないと、こ れまでずっとクライアントに説いてきたのですが、実に多く の企業が、甘い認識をしていることに、毎度驚かされます。