続 ネットでの独占事情 アマゾン

(U.S. FrontLine誌 2013年11月20日号掲載分を、一部抜粋・加筆、編集)

前回は、オンラインショップを始めるには、アマゾンの提供するサービスを利用するのが簡単ながら、なぜ多くの企業がアマゾン外にも自社ショップをもっているのか、について触れました。

アマゾンから課せられるさまざまな手数料による利益率的な問題や、ユーザーができるだけ商品を比較しやすくしたモール構造であるが故、嫌でも価格勝負や、したくもないさまざまな競争を強いられること、モール内の自社ショップへ集客しても、簡単に他店へ流れてしまいかねないなど、面白くない状況があります。

また仮にモール内で唯一の商品を出店するメーカーだったとしても、類似商品との競争をアマゾンに煽られることは言うまでもありませんし、アマゾンに代理店として販売を委託し、かなり売ってもらえるようになったとしても、マーケティング的に有用なデータを蓄積された上で、プライベートブランド(PB)として、類似品を安い製造コストで生産・販売され、オリジナルの競合として取って代わられるリスクも多分にあります。

そして何よりアマゾンは、単なる営利目的の企業であり、モラルや配慮などは期待できないと心しておくべきなのです。

実は中国のショップだった…

私の嫁さんは日ごろからいろんなものをネットで買い物する人で、あるときはUPSの配達のおじさんに、「君、足2本だよね。靴、一体何足いるの?」と呆れながら話し掛けられていたのを見て、思わず笑ったことがありました。いや、それが話の本題なのではなく、単なる愚痴です(笑)。とにかく、ネットショッピングをある意味、極めている人なのですが、以前にある水着をアマゾンで購入したらしいのです。

いつものようにレビュー評価などを参考にしながら商品・店を選んで購入した際に、当の商品が届いてからわかったのが、何とそのショップは中国にあり、そこから直送されていたという事実です。アマゾンで購入している時は、まったくそれに気がつかなかったそうで、確かに配送に少し時間がかかっていたらしいのですが、本人は事実を知って大きなショックを受けていました。

何がショックかといえば、中国にあるショップが、普通に国内にあるかのように出店でき、直送していれば、国内のショップは販売価格的に、彼らとどう競争ができるのか? という懸念です。はっきり言えば、中国で製造された商品に、アメリカ国内で輸入コストやマージンを付加して、より高い値段で売っているというのが、昨今の大半のビジネスモデルになっているはずです。

自由競争であり、安く購入できるようになるのは、消費者的には良いことだと思われるかもしれませんが、冷静に考えると、これはとてつもなく恐ろしいことです。

ちなみに小さな電気器具や撮影用ウィッグを購入したときにも、同じ経験をしたそうです。本人いわく、商品レビューやショップの評価は一応気にするけれど、店舗がどこにあるかまでは、普段特に気にしないで購入しているそうです。

儲かれば何でもありというスタンス

アマゾンとしては、モール内のどこで売れようが、自社の収益の一部になるのでお構いなしなのでしょうが、自由競争という名目で、国内の製造業が完全につぶされた現状で、小売業も海外に奪われたら、この先どうやって国内経済を復興させられるのでしょうか?

こういった形態の消費がいくら増えたとしても、アマゾンの株主と海外ショップの利益になるだけで、国内の雇用拡大にはまったくつながりません。私が甘いのかもしれませんが、「企業の存在価値=雇用の創出」と考える私からすれば、アマゾンには何らかの規制を強いてほしいくらいです。大半の中小企業をつぶせるほどの力をもつアマゾンが、社会を機能させるためのモラルや配慮をもってくれることを、願うばかりです。

自分の哲学的な原点?

私が20代後半に、東京の下町で一人暮らしをしていた頃の話です。数百メートルごとにコンビニが立ち並ぶ中、近所に1軒の古びた狭い雑貨屋がありました。大半の商品には埃が被り、品ぞろえも価格もコンビニには到底及びません。

しかし、店の前をたまに通り掛かると、ステテコ姿の店主らしきおっちゃんが、扇風機にあたりながら、買い物客らしきおばちゃんと談笑しているのを何度か見ました。

この店で買うものなんてあるのか? と逆に妙な好奇心がわき、店内に入ってみたものの、やはり謎のままだったのですが、ある時、同じく近所の弁当屋のおばちゃんとの何気ない会話から、謎は解けました。

昔から近所に住んでいる者同士、互いを支え合うために、あえて清潔で便利なコンビニではなく、古びた雑貨屋から買ってあげることで、地域社会が形成されていたのです。私はそれに感動・共感し、社会に必要なモラルを学んだ気がしました。

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